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和真クリニック  自立自尊の健康人生

武術との出会いと遍歴
医師免許をもった私がなぜ武術に興味を持ったのか。その遍歴をつれづれなるままに書き残しました

「武術との出会いと遍歴 その4」ロゴセラピーから健康創成、SOCへ

 ただ、そんな中で、永田先生の著書から実存心身療法、ロゴセラピーを知り、その創始者ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を読み、さらに日本語訳された他の著書、解説書なども読み、悪名高いアウシュビッツを生き延びたその体験から生まれた(実はそれ以前から基本となる考えはもっていた)心理療法であり、これまでとは異なる迫力を感じた。激烈な環境の中で生死の境から生還したその人間の強さを引き出し生き延びた人の療法であり、同じ心身医学の世界でありながらも、毛色、面持ちが違っていると感じた。

哲学的で中々理解が難しいと思ったのも確かだが、それでも、自分自身に対して上記の様な思いを抱いていた時期とも重なり、自己実現するという価値観も揺れ動いている中で、創造価値、体験価値、態度価値というこれまでとは違う意味づけに、新鮮みを覚え、とにかく出来る事は実際にやってみた。というか、普段の実地診療において考えるともなく実践していたこととある面符合していた。「逆説志向」と「反省除去」であり、これは、上記の簡易精神療法とは異なり、患者が、自己の苦悩をまず自ら【受容】し、同時にそこに【意味】を見いだせるようにする点であり、そうした態度の形成を目的にしている。そして患者自身による「意味への意志」の発動の実現出来れば良いのであるが、なかなかなじめなかった。来院する人もそんなものを求めて来ているわけでもいない。私自身の理解も十分ではなかった。しかし、実際にやってみて、逆説志向は確かに、自分自身に光り、焦点を当てて、自分を受容する一過程を促すことは、実感出来た。

他人が本人を受容しても、問題は自分自身が自分を受容するかどうか。そして、そこから本人がどう変わって行く手伝いが出来るか。

また、それと共に、言葉だけではなかなか相互理解が難しい、受容することが難しい。理解・疎通の取り方の困難さと重要性を実感するようになった。

相手が自分の体験を通して、実感し、思っていることが例え現実と異なっていても、本人にとってその認識が不利に、不自由に作用することであっても、本人が思っていることが現実であり、新たな自分自身を創造(本来持っている機能、能力を発揮して、これまでとは異なる自分の状態を回復)するということが至難の業であることを実感し、その中で、心身医学の関連分野で認知行動療法という分野に行き当たる。

これは、行動療法と認知療法が共に進歩発展する中で、一緒になった療法であり、私にとってはその時に出会って、上記の自分なりの課題に対しての一つのアプローチ法と映った。その時には、たくみの会と最初に出会う触感123の説明理論の元となる行動療法に触れていたのだが、それはまだまだ先の話になる。

理論、理屈としては、なるほどと思うところがあったのだが、言葉だけのアプローチであり、研修会に行ってもさっぱりなじめず、結局はまた自分自身の性癖とマッチせず、言葉での認知行動療法には、なじめず,応用も出来なかった。だが、その考え方は後々自分の治療の理論、理屈には大いに役立つこととなる。

強制収容所生還者の3割もが精神健康を保持していたという研究から始まった、極限のストレスに打ち克った首尾一貫感覚(SOC,Sense of Coherence)というアーロン・アントノフスキーの理論もある。SOCの3要素も、ロゴセラピーとも、実地臨床での自分なりのキーワードと重なる部分(把握可能感↔実感、処理可能感↔自信、有意味感↔意味)もあり、そして、病気ありきの病理理論ではない、健康ありきの健康創成理論という自分の目指す方向性を示唆してくれた。

その他、様々の事に興味を持った時期があるが、医学、心理学分野で、自分で面白いと思ったのが、ゲシュタルト療法であり、これは、言葉を駆使しての療法と言えばいえるが、これまでには無い感じで、動くことが出来る。自分自身が芯から揺すぶられ、感動する体験は出来、一時期興味をもってセミナーに通ったことがある。これも余裕と暇があったらその後も続けていたかも知れない。

以上、医学としての遍歴をおおざっぱに述べた。次の武術につながる流れと何が違うかというと一言で言うとこれまでのものは、言葉での理論、理屈、思想であり、私の単純な理解力の乏しい知性では、受容出来なかったというか十分にのめり込めなかった分野である。一方武術につながる流れ、分野はいずれも身体だけでもなく、心だけだけでも無く、理論理屈も当然あるが、まずは何よりも私自身のからだ(身・心)でもって実感出来(把握可能感)、自分でも実際に出来、自信(処理可能感)になり、そして、そのことに意味があると自分で意味を見出せた(有意味感)ものと言える。もちろん、その意味は時間の経過と共に変わるわけだが。

これまで、獣でも無い、鳥でも無い、コウモリと思わざるを得ず、それでも遠慮しつつ密かにやって来た事、武術の遍歴を次に述べてみたい。

武術との出会いと遍歴
医師免許をもった私がなぜ武術に興味を持ったのか。その遍歴をつれづれなるままに書き残しました

Fukui