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「武術との出会いと遍歴 その6」ホリスティック医学とコウモリ 自分自身の身体、生活、人生においても、身をもって学ぶ、知るという流れになってきて、いよいよ、武術の方向へと向かうのだが、その身をもっての学習方法の流れが大きくは2つある。 その1つが武術系統となるのだが、その前にやはり医学、心理学分野から派生した身体を介した心理療法とも言うべき、現在の治療の元となる具体的な方法論に出会うこととなる。 身をもっての学習形態の2つの流れはお互いにオーバーラップしながら同時並列的に進行するので、決して、片方が終わってもう片方が始まったわけでは無い。しかし、説明の都合上まず、身をもっての心理学的治療法であり、私なりの独自の治療、医療として実践していた「からだ(身・心)全体の調和の取れたリハビリ(身を介した認知行動変容リハビリ療法)」の積極的具体的なコミュニケーション、学習、治療介入方法の元となる心理療法、学習法に言及する。 身をもっての学習法という新たな流れは、自分にとっての新たな学習法でもあったが、和真クリニックに来院される方々への介入方法ともなる自他表裏一体となる学習方法でもあり、その当時の自分の精力を傾ける(ざるを得ない)ことであった。それだけ、切羽詰まったハングリーな時期であった。 心身医学的にも精神神経免疫学、そしてホリスティック医学というその時の隆盛しつつあった流れにも触れ、その関連の図書類を漁った時期でもあった。特に、ホリスティック医学の概念には大いに共感するものがあった。 1,ホリスティック(全体)な健康観に立脚する 2.自然治癒力を癒やしの原点におく 3.患者が自ら癒やし、治療者は援助する 4.様々な治療法を総合的に組み合わせる 5.病への気づきから自己実現へ (ホリスティック医学入門 全体的に医学を観る新しい視座 ホリスティック医学協会編) 実際にその学会活動に参加してみて、よく言えば玉石混合、別の言い方だと何でもありで、ビックリしたことを覚えて居る。 とにかく、コウモリの一群の集団があると言うことを知り、ほっとしうれしかったことも確かである。 それらの関連を含めて、異業種交流の会その他で知り合った人々、会社と縁を持つようになり、自然治癒力と言うことを、ことある事に言っていると、健康関連の会社から声が掛かり、会食などに招かれ、うちの会社のこの製品は良い製品だから使ってみてくれ、評価してみてくれということも何度かあった。 が、最初は蝶よ花よと大事にしてくれるが、こちらは最初から同じ事しか言わない。自然治癒力を発揮させるための特殊な食べ物、飲み物、道具が必要な分けでは無く、ごく当たり前の食べ物、飲み物、日常生活用品で十分であり、製品をあずけられても特にうんでもすんでも無く過ごしていると、大概、また会社に呼びつけられる。それで当方の最初から変わらぬ態度と言動に接すると大概は今度は怒り出す。もう、二度と来なくて良いと。 結局は物、物、道具、グッツのオンパレードとそれを考える人、作る人、仕入れる人、売る人、欲しがる人。私から観たら、皮膚症状のない薬物他者依存の一群でしかないと思った。 表と裏、本音と建て前、見せかけの理念と実益とを見せつけられ、身をもっての社会勉強となった。 そんな中でも、真摯に理念・理想を実現しようとやっている人達もおり、その後多少縁を持つようになる人達との出会いもあった。 求めよさらば与えられんと言うように、切羽詰まり貪欲に求めているとさらにアンテナに引っかかってきたのが、皮膚科関連の勉強会、研究会で出会った「臨床動作法」である。 この術語としての動作は決して身体行動動作のことでは無い。次の様に述べられている。 「そもそも人の現実の日常生活というものは、生けるからだをその持ち主である 主体が意図して動かすという能動的な活動で成り立っている。 その意図通りの身体運動を実現しようと努力する主体の心理過程を動作と いいます。」 言葉が主役で無い身体を介した心理療法だというこれまでに無いコンセプト。 シンプルな理論と方法論で、記銘力不良で面倒くさがりの私もこれならばと大変気に入り、 天風会の研修を受けつつ、この臨床動作法の勉強会に参加するようになった。 しかし、同じ課題方法(両肩の肩揚げを課題とした定型の動作法を参加者相互に)に 限定して繰り返練習する勉強会にも、当初は初めてのことで、面白く、それなりにやり甲斐も やる気もあり、2年弱位は通った。 |
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