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和真クリニック  自立自尊の健康人生

武術との出会いと遍歴
医師免許をもった私がなぜ武術に興味を持ったのか。その遍歴をつれづれなるままに書き残しました

「武術との出会いと遍歴 その10」古武術との回合と汗をかく自分

 さて、さて、いよいよ、武術と出会いその関連の練習・稽古をするようになるのだが、自分のからだ(身・心)の不自由さ、窮屈さ、偏狭さ(生活苦とは異なる自分自身への不平不満と劣等感)との出会いと気づきとその解放への道と言えると思う。もちろん、その時々では、そんな事は思いも気づきもしなかったが、これを書いている現在から観てそういう流れ、意味だったんだなと思える。

さて、あれこれ、模索して来て、あれ、あれあれーの結果となり、その呼吸法、身体を錬るということの体験を積んでそれなりの所までは来たが、しばらく気が抜けたようになった。

でも、相変わらず菱沼先生の所の教育動作の研修会では、自分の出来なさ、不自由さ、ふがいなさを思い知ることの連続であり、何とか菱沼先生との次元の違いを少しでも縮めたい、もっと自分のからだ(身・心)の能力を発揮出来る様になりたいと思う気持ちは相変わらずあり、やはり困った時の本頼みで、ネットのアマゾンで、その時々の興味のあるキーワードで検索して「古武術の発見 日本人にとって「身体」とは何か」 養老孟司、甲野善紀 で、あった。

私も医者の端くれで、社会知が乏しく、世間に疎いといっても、居酒屋チェーン店の養老の滝と解剖学の養老先生位は知っていた。

なんでその養老先生が武術なのと言うこととそのサブタイトルが注意を引いた。

さらに「身体から革命を起こす」甲野善紀、田中聡、「武術の新・人間学温故知新の身体論」そして「表の体育、裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間にうまれた身体観・鍛錬法」

最初の3冊は確かに読んだ! 

だが、それで何か頭に残る言葉があったかというと全くない。全くない! 全くだ!

逆に残るわけがない。何しろ自分のこれまでの体験、経験の外の話なのだから。

もちろん、筆者達が読者に伝えようとして言語化して、話したり、書いたりしているのだから、そういう意味では私も読んだらそれなりの情報がインプットされ頭での理解は出来る。が、実感、体感が無いこと、あるいは薄い事にはやはり、実感、体感ましてや感動が出来る分けが無い。出来ない。

だが、未知のことがあるということは知った。無知の知とはこのことかと感銘は受けた。

そして、「表の体育、裏の体育」では、読んで、泣けた。

もちろん、自分がコウモリだと思ってきた自分の本来の土俵の医療・医学での歴史的なこと、武術の歴史的人物紹介もあり、面白く、武術と医学との関連に関しても書かれてあり、迷い人の私には指標となった。

が、泣けたのは、それらの時代背景、外部環境の中で、自らの生を活かして生きてそして自らの意志で人間らしく栄光の絶食で始末をつけた一人の人間の生き様、死に様にだ! すごい! 生きるとは、人間とは!

肥田春充という人の伝記が紹介されていて、共感実感することもあり、感情移入してしまい、吸い込まれ、そのすさまじい人間の能力の発揮の仕方に感動すると共に人間としての精一杯フルの生き方に、そしてその勿体なさに泣けてしまった。ある面、天風先生を知った時よりも衝撃が大きく、人間の凄さを知り、感動、感涙した。

もちろん、当然その創案実施した「聖中心道・肥田式強腱術」に関しても、ネットでさらに検索して、それを受け継いでやっている人がいることまでは調べた。が、どういうわけかそれを実際に学んでみたいという気にはならなかった。

しかし、甲野善紀という人物とその実際にやっていることを身をもって味わいたいという思いが強くなり、実際に池袋のコミュニティーカレッジだったかで、計8回の講座を申し込んで受講した。

顔色も、姿勢も悪い、声もくぐもりがちで、説明も分かるようで分からない説明ながらも、実技というか技になるとこれまた分けの分からないうちに倒されてしまう自分を体感した。

当時は崩されるとか実感も無く倒される、何かされているというやはりこれまで味わったことのない体験にビックリした。一生懸命通って、一生懸命目を皿にして見た。そして、その途中ではNHKTVの心の時代だかの取材も入り、私の投げられっぷりが良かったのか、テレビにその姿をさらしてしまったことがあったようだ。

確かに、すごいとは思ったのだが、残念ながら、目を皿のようにしても、その視座、評価基準、手がかり、足がかりが何にも無かった当時の私はそれ以上、甲野先生自身のやっていることには全然興味を持てなかった。

しかしながら、甲野先生の武術稽古研究会からその流れを受け継ぎ「半身(はんみ)動作研究会」を主催している中島章夫という人と、先に紹介した甲野先生の著作の共著者でもある田中聡氏の共著「技アリの身体(からだ)になる 武術ひとり練習帳」には、大いに興味を引かれ、一人練習帳にある練習課題を勝手にやってみたりはしていた。が、実際にその中島先生と縁を頂くのは、実際に武術の稽古をさらにいくつか遍歴したその後になる。

その後、しばらくネットで武術関連の動画や合気道関連の図書を漁っていて、藤平光一氏の若き日の動画、それらからさらに合気道関連の人達の動きを見、特に塩田剛三氏の神業と言われた動きを見て、「塩田剛三 対すれば相和す 合気道修行」を大変、大変面白く読み、合気道に興味を持ち(?)、その開祖の植芝盛平の師の武田惣角先生からの流れで、「合気 修得への道 佐川幸義先生に就いた二十年」「透明な力 不世出の武術か佐川幸義」木村達雄を読んだ。

塩田先生の本もとても面白く、また、合気道の実戦性ということの紹介で、新宿乱闘事件、やくざ相手の多人数取りの下りが書いてある。そのなかの一節「闘いの始まるまでは怖いものです。いくら強気でいるつもりでも、やはり気が上ずってしまっています。 それが一人倒すと、スーッと落ち着いてくる。そして、相手の動きがよく見えてるようになるのです。」と書いてある。

私はけんかは小学校時代友人の腕に一度噛みついたことはあるが、それ以外けんかというけんか、殴り合いは一度もしたことがない。大学時代ナックルフォーという4人乗りのボートをオールで漕ぐ競技をやっていて、スタート時の緊張から半分気を失いない、よくスライドシートを外して、他のバイターに(漕ぎ手)に迷惑を掛けていた体験から、その前半部分までの上ずる体験は共感出来、そして後半の心のあり方の違いに大いに感銘した。

で、不思議なのは、感銘したら、以前既に藤平光一先生のやっている合気道は知っていたし、素直に都内の身近な合気道道場へでも体験、入門でもすれば良さそうのものだが、ところが実際はそうはしなかった。たぶんそれは合気道はかなりメジャーになっていたからだろう。有名、組織が大きい、大所帯というのは馴染まない避けたい、苦手という自分の性癖が原因と思われる。

それで、実際に行動を起こしたのは、上記した木村達雄氏に対してであった。まだ、世間的にも合気ということがあまり知られておらず、また、その方が筑波大学にいるということで、そこにメールを出した。自分はしかじかかくかくこういう医療を目指しており、一度是非、会いたいこと、技を受け、御指南を受けたいことをお願いした。そして、実際にわざわざ筑波までお邪魔し、その技の一端を体験することとなる。

実際に味わったのは平成二十年五月二十四日である。記銘力が抜群に悪く、忘却力が超優れている私が日時をここに書けるのも、持参した上記2冊の図書にサインをしてもらっていたお陰である。

で、そこで味わったのは、そのために準備されていた何代目かのソファーの前に立たされて、氏に触れられて倒され続けるという体験であった。倒し方は色々あるというようなことで、解説されながら倒され続け、何か分からないがすごいとも思ったが、終わってからその倒すのに使っていた右腕の手首周りを触らせて貰った。触った瞬間、これは違うと思い、その後しばらく話してその違う感じを確認して退室し、それ以後は縁は持たなかった。

自分の求めて模索しているのは、強くすることでは無い、丈夫にすることでも無い。ましてや、太く硬くし、手首指を変形させることでも無い。本来の与えられた身体を活かすこと、その結果として、全体の調和を保って構造、機能が発揮出来るようになること、持てるものを引き出すことという目的とはそぐわないと直感したからだ。その時はここまでは言語化して明確に意識はしなかったが、直感、瞬間、合気は消えた。

ただ、その後も、六方会の岡本正剛師範の動画には憧れるところはあり、ネットで動画を見たりはしていた。

さて、その後、またまた、ネットで関心のあるキーワードでググっていると、すっぱりと諦めた甲野先生をやり玉に挙げ、かなりすごい事を書き込んでいる人のページを見つけた。また、その方は、一連の下記の図書も出していた。当時は全部は出版されていなかったが。

もっと知りたい武術の極意

そこが知りたい武術のシクミ

誰も知らない武術のヒケツ

あなたのしらない武術のヒミツ

など、読みやすくそれまで知らない分からないことが紹介されており、興味をもった。

何よりもあまり有名でも無いようなので、それで、早々にセミナーを申し込んで、何度か伺った。

私にも分かりやすい様に説明してくれ、気さくでもあり、稽古の雰囲気も悪くなく、馴染みやすい人柄で私は結構気に入っていた。そして、何度目かのセミナー終了後に6月8日の午後、喫茶店で話をして時を過ごした。

その時に、何度も、何度も、テーブルが振動する、ブーブーと音がして、話に夢中になりながらもうるさいなー何だこの音は!と思っていた。

が、喫茶店を出てから、自分の携帯電話を見てみて、ビックリ、驚愕。やたらめったら、家内、母親から電話、メールが入っている。見てみると、父親が急死したとの知らせであった。アルバイト先の仕事を休む段取りをつけ、その夜、父親の食べるはずであった冷たくなった焼きそばを遅い夕食に食べた。

その後、どういうわけか、そこには行かなくなり、縁が切れてしまった。

どういう経緯か覚えて居ないが、思い出すとそれ以前から行っていたような気もする日野武術(日野晃先生)にも土日稽古にしばらく半年以上一年未満位は通っていた。熱しやすく冷めやすい(?)私もそれなりに心酔し、自分なりには通って行っていた。

古武道入門:達人達の言葉を身体化する

武術革命 真の達人に迫る超人間学

武学入門 武術は身体を脳化する

など、これぞ武術、武人という感じで、自分も少しでも近づきたいと思う気持ちがあり、通っていたのだが、そこで学んだことは、以下の事だった。

稽古に参加(入門)する当初から、口頭でも言われ、その後何度か言われることになったそして、入門の際の説明文にも書かれてあったことである。汗をかかない、夢中にならないということ。

それをたびたび注意され続けた。そして、稽古課題も見せてもらい、それを自分なりに稽古仲間と稽古するのだが、動き、型さえなかなか真似できず、何をどうやって良いやら皆目検討も就かず、とにかく、見よう見まねでやっていたが、それでも少し分かり掛け出来る事があるとすぐにうれしくなり有頂天になったり、悦んだりする自分、考えもせず、ただ、ひたすら夢中になって同じことを繰り返し汗をかいている自分。そして、他の稽古仲間のことを意に介さず行動している自分を直面させられた。先輩からも、日野先生からも何度か注意され、最後には、日野先生直々に、「それでは来ても稽古にはならない」とも言われた。来るなと言われた分けでは無いが、入門当初から既に予定されていた道場での泊まり込みの合宿セミナーの前にそのような言われてしまった。

とても、合宿に参加する意欲、気力も失せ、意志もなくなった。

そんな時、義母が亡くなり、合宿と葬儀が重なり、結局、合宿はキャンセルしその後は、稽古にも参加しなくなった。

自分自身に対する厳しい冷徹な目を持つ必要性を身をもって学んだ。それとともに、人との間の取り方、接し方にも問題があること、身体の不自由さの他に、社会人としての不自由さ、人間としての不自由さも思い知らされ、気持ちも沈み、意欲もなくなり、もともと無いと思っていた自信もさらになくなり、家庭内のこともあり、無気力無関心けだるい状態ともなった。

それでも、人間時間が経てば腹も空くし、のど元過ぎれば熱さも忘れる。特に忘却力の優れている私だったので、菱沼先生からの相変わらずの刺激を受けながら、いよいよ、システマに出会うことになる。

と自分の記憶を辿って思い出してビックリした。あれ、そうだっけ! まだ、そんなもの?

システマは、日野武道をやる前からやっていたような気もする(ああ、確かにシステマと同じような練習だと思ったことがあった)し、かなり長くやっていたような気がするのだが、記憶の糸をたどっていくと、戸田公園でのシステマの練習、午後から始まり夕方暗くなって、練習後のサークルを就くっての恒例の感想をいう段で、たまたま公園で、その練習を見ていたおばちゃんにも、輪に加わるように声を掛け、そしてそのおばちゃんも輪に加わって、練習をしてもいないのに、何か感想を述べた映像につながる。そして、そんな場を共有出来、自分が受け入れられている場面が浮かび上がりそれがシステマ最初の記憶と思っている自分がいる。その前の記憶がない。どのようにシステマを知り、どうしてその場に参加したのかその途中経過がない。

しかし、そこからがシステマの記憶であり、こんな自分も受け入れられ、ものすごくうれしく、安心した覚えがある。

武術との出会いと遍歴
医師免許をもった私がなぜ武術に興味を持ったのか。その遍歴をつれづれなるままに書き残しました

Fukui