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和真クリニック  自立自尊の健康人生

武術との出会いと遍歴
医師免許をもった私がなぜ武術に興味を持ったのか。その遍歴をつれづれなるままに書き残しました

「武術との出会いと遍歴 その12」不自由な身体から技アリの身体へ

そんな懐かしい楽しい思い出もあるのですが、私にとっては、そのシステマの練習の最初の段階のフィジカルの使い方、フィギャーエイトなどのシンプルな動作はまだ良いのですが、自分の身体を支える動作が加わるとてきめんに身も心も重くなるのでした。ローリング一つにしても単純な前後のローリングならまだしもその応用となると途端に別世界。一段高くなったところからの落下しながらの、あるいは、捻りを加えながらのローリング、そして、匍匐前進も前後ならまだしも横への移動、は虫類歩き、など自分の意に添わない我が身体に本当に情けなくなる一方でした。

力では無くリラックスするためのフィジカルトレーニングであるはずにも関わらず、力み、硬直、居着き、結局汗をかき、息切れ、体力を消耗する。自分自身の身体を持て余してしまうそんな自分に直面し、さらに無用の心理的悩みと緊張を増し、その後さらにその身体操作が不自由になっていく悪循環。

出来ない事への囚われと出来なかった結果に対しての表面的工夫のみ。そんな事で、本質的な解決ができないことは今ならごく当然のこととして分かりますが、当時は分かりませんでした。それで、自分自身にますます自信を失い、折角仲間は増えたにも関わらず、システマの4原則の表面的な理解のみで、真に自分自身の身体を自由にする、自分自身で自分をリラックスさせられるようにするという練習が結局は出来ず、ただ、表面的な技術、技、やり方を身につけよう、身につけようとしていたようです。

その当時は、明確にはそういう認識はしていず、何か違うんじゃ無いかと思うところもあったのでしょう。ちょうどジャパンでも木曜日に他の場所でIiTが指導する機会も出来、また、北川さんは北川さんで朝日カルチャーでのクラス、木曜日の飯田橋クラスも始まっていました。東東京でそれなりにやり、上記の悩みを抱えながらも、以前よりは多少動けるようになってきているところもあるかなと言う思いもあり、過去にジャパンではついて行けず断念したのですが、新たなジャパンの練習場所として、木曜日にIiTが練習を指導する地下道場がお目見えしていて、そこに行ってみたり、北川さんの木曜日のクラス、あるいは金曜日の朝日カルチャーのクラスにも参加するようになった。

そんな中、出来ない事にこだわり、出来ない結果のみをいじり、出来ないことが悪いことだ、不自由なことだとばかり、思い込んでいたが、既に購入していた中島章夫氏の「技アリの身体になるー武術ひとり練習帳」 に再び目を通す機会があり、練習素材の前に書かれたある前半部分に今更ながら衝撃を受けたというか、そうかとはたと思い当たり、合点し、うれしくなった。自分の不自由さ、出来ない事、上達するとはどういうことかということを、自分の身体を通して悩んだだけに !

  はじめに

 なにごとであれ、「上達」する時には、それまで出来なかったことが、ひょいとできてしまって、「あれ?」と思う瞬間があるものではないでしょうか。

 それは、「できない」と「できる」のハザマの、ちょっと不思議な時間です。

 ならば、その不思議さを楽しんでいれば、いつのまにか上達しているということになりそうです。

とあり、これまでの出来ない事象への新たな命題の立て方、認識の仕方、問題の立て方、意味の違いに新鮮で、うれしくなった。

さらに、序章には、もっとうれしい事、なるほどと思うことが書いてあった。

「できない」ことの愉快を求めて

ここでは「できない」ということが、とても重要だからです。

人は「できない」から「できる」に変わる、そのハザマで、なんらかの新たな感覚を発見します。それを「上達」というのでしょう。

つまり、動こうとして動けない、不自由さの中からこそ、新しい感覚を見出すことができる。とすれば、まずは「動けない」「できない」という状態をよく味わうことが大切です。いわば、自分の不自由さに出会うことといってもいいでしょうか。

「できない」ことが愉快だなんて、さらに、さらに、

 何かができるということの快感よりも、何かをしようとしても身体が思うように動かないという不自由さにぶつかることのほうが、稽古のためには、大切な体験なのです。ですから、「できた」「わかった」と思うのは、嬉しいことではありますが、稽古のうえでは警戒しなくてはなりません。

とあり、これまでの自分が変わるわけではありませんが、肯定してもらえていること、そして、自分でもそのことを肯定して良いことを知り、非常に安心し、嬉しくなった。稽古とは何かの一端をやっと知ることが出来た。

そして、さらに、さらに、

身体が意識を鍛える

身体は、思いがけず批判的なものです。

頭で思いこんでいたことが通用しなかったり、あるいは思いもしなかったことが起こるという体験を通じて、それまでの意識を点検させられるからです。

、、、

知で知をブラッシュアップしていくことも大切ですが、それだけでは現実とのつながりが希薄になってしまいます。ともすれば観念でしかないものを現実ととりちがえたり、観念から新たな観念を派生させて現実ばなれした構築をえがいてしまうのです。

このことは、後々、自分がアルバイトで精神疾患のデイケア、認知症デイケア、物忘れ外来で、本人、家族と接するようになればなるほど、思い知ることとなる。が、ここではまだ、自分自身の事でしかなかった。

行間がやけに広く、上下のスペースも広く、少ない文字数でページを稼いでいる本にしては、「はじめに」〜「序章」のたった8ページに、ものすごいぎゅっと詰まった濃縮された本質的な内容が詰め込まれていると思った。序章には、さらにステップアップの神話、動きの「質」を変えるという項があり、これまでの学び方、学習の仕方、稽古の仕方を根底から揺さぶられた。

武術との出会いと遍歴
医師免許をもった私がなぜ武術に興味を持ったのか。その遍歴をつれづれなるままに書き残しました

Fukui