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和真クリニック  自立自尊の健康人生

Medical & Martial Arts Wasin Clinic について

 なぜ武術のかということは、「武術との出会いと遍歴」に長々と書き連ねて来ました

 一言でいえば、からだ(身・心)の感覚、感性をアップさせたい。そして、治療手技(身を介した認知行動変容リハビリ療法:からだ(身・心)のリハビリ)の効率を良くしたいという思いからでした。


 自分自身の機能を引き出すための学びの場として、武術の稽古が大変役立つ、というか、その練習、稽古の場で、初めて身をもってなるほどと気付き、学ぶことが出来る。
武術系の稽古の中でも、半身動作研究会とたくみの会が、自分にとっては大変学びやすい。両者とも武術的な稽古課題を通してからだ(身・心)の有り様、用い方を学ぶ場でした。
武術そのもののでもないですが、その武術的な側面から自ら己の能力・機能・可能性を引き出し、気づける場でした。

決して、人を倒したり、投げ飛ばことが、目的ではありません


だからこそ、ほんの少しの力(重さ1g)、移動距離(1mm)、相手との接触時間(1秒)でもその変化を感じ、ダメなものはダメと自分に気づき、その中からこれまでとは違う新たな有り様、在り方、使い方、新たな感覚を体感して、身に付けていく練習になります。

頭での理解と解釈は時と共に忘れてしまう。しかし、身体そのもので、身に付けたものは残り、無意識のレベルでも使える。知識と情報の学歴社会を生きてきた自分にとってはなかなか馴染みにくいことでした。それでも、やはり自分自身のからだ(身・心)の機能能力を引き出したいという一念でした

その稽古の覚え書きが、下記です。

年も改まり平成25年となり、ふと目にとまり、なるほど、こんなことを自分は、感じて、考えて、書いていたんだと1年2ヶ月前のことながら驚きました。

確かに、理論、理屈、思考経路は書いてあるが、問題はからだ(身・心)で体現出来るかどうかです。

 論より証拠! 理屈理論より実地臨床! 

Medical & Martial arts Wasin Clinicというのは、身をもって学ぶ学習体系とそれによる自己変容をもたらす場提供するクリニック(相互学習の場)かなと改めて気付いた次第です。

 平成25年1月5日 


2012.10.06.たくみの会、動き&触感123の基礎の基礎セミナーに参加して感じたこと、考えたこと


基礎の基礎セミナーと言うことで、練習の『練』であること、そしてたくみの会の本質では無いが、達人養成セミナーの名に恥じない達人の動きを疑似体験出来、その全体概略を俯瞰体験出来る初心者向けのセミナーであり、大変に面白く有意義であった。

最初は歩くだけ。歩いている感じを味わう。

が、歩く意味を問う。

歩くとは何か? どういう意味か?

移動である

なんの移動か?

重さの移動である

重さの移動とは?

重心の移動である

ということを立っている人の両肩を他の人が軽く触れて押えるというフィジカルを用いての実験を通した実験と学習の連続であった。ある面現代教育の理科の実験と同じである。

こうすればこうなるという一つの理論理屈で説明しそれを確かめ、新たな課題を提示し、さらにそれを自らのフィジカルを通してそのプロセスをたどる実験(体験)をし、確かめ、自らのフィジカルの使い方の勘違い、間違い、余計な事をして本来の動きを阻害しているその余計なことを削いでいく相互学習の場であった。

自分の好きな学習体系であった。数学で言えばある定理を1つ理解して、問題を解くという感じだ。

ただ、原理は基礎の基礎と言うことで、簡単なのだが、人間本来の機能と異なる動きを長年してくるとその余計なことを削ぐのが難しい。また、削ぐ前に自分の身体、人間に対する認識を改めないと逆に削げない。頭で削いでも実験は成功しない。フィジカルに任せられてフィジカルが実現出来ると感覚も認識も変わる。フィジカルが先か頭が先か、鶏が先か卵が先かという感じだが、ただ、頭とフィジカルに関しては、フィジカルが変化して初めて自分自身、人間に対する認識(頭)も変わるというのが、これまで実地臨床で不自由を抱えた人達の変化を見て、また自分の不自由さが改善されていく過程を振り返ると出てくる答えである。

実地臨床で、不自由(半身麻痺、パーキンソン症候群、脳性麻痺、統合失調症、うつ病など)を抱えている人達の不自由が軽減、改善し機能を回復していく過程と同じである。自分のフィジカルが変化して初めて自分に対する認識も変わる。が、ある種の不自由な(世間のいわゆる病気といわれる)状態では、出来てもそれがなかなか受け入れられない状態もある。自分のフィジカルが変化しているにもかかわらず、それが受け入れられず、信じられず。自分でまたすぐにブレーキを踏んでもとの自分に戻ってしまう。私自身もたくみの会に参加して何度かそういう体験を積んで来ている。

自分の理解納得想定外のことが起こると、自分自身を受け入れられない、信じられないのだ!

ただ、それもやはり、「練」で試行錯誤しながら、「習」でその精度と再現性を高めていくと徐々に馴染んでくる、信じる信じないと言うよりもそれが当たり前になってくる。

人間の機能、能力をすべて説明することは至難の業である。

求心路の神経シナプスの何処がどう反応し、そして、中枢神経のどこのシナプスの何処がどのような化学伝達物質を、どの位の量どの位の時間放出しているのか。そして、シナプス後の神経細胞がそれをどのように処理して、どうなるのか。そして遠心路のどこがどのように作用して、そして何処の運動系に伝わり、その筋肉にアセチルコリンがどのくらいどう分泌され、どのように反応するのか?、何処の関節がどのくらい関与しどのように動くのか。考えだしたらきりが無い。

学問をし、科学、医学を修めないと歩けないか、動けないかというとそんな事は無い。

そのような生理学的、生化学的、解剖学的知識と仕組みが分からなくても立てるし、動ける。日常生活上そんな知識は要らない。

また、知識として分かるところもあるが、どんなに科学、医学が進歩しても分からない所もある。また、個人の知識の限界もある。さらには、知識があってもフィジカルを自分でがんじがらめにして使えなくしている限りは使えない。

しかし、単純な原理と具体的なプロセスを示されある種のイメージが出来上がれば、出来なかったこともあっという間に出来るようになる。出来る出来ないは結果であり、問題では無い。が、大事なのはそのプロセスと人間、自分に対する認識の誤差を軽減させる事だ。自分の認識の甘さ、誤差、間違いを、自分の誤った自己イメージを自分で体感、実感し、自ら改めて初めてフィジカルも解放され、誤差は軽減する。

歩き出す時も、頭から突っ込んだり、足で踏ん張ってしまっては、相手とぶつかってしまい、それ以上前には行けない。

それで先の問いが役立つ。歩くということを勘違いしている限りは上記の課題設定では歩けない。

が、その課題をクリーすると一段階改善する。

重心から動いてその運動エネルギーを伝えてさえやれば、簡単に動く。

ただ、人間にとっての重心はどこかということは、ここでは触れない。重要なポイントである。

一段階クリヤーした。ここまでは重心の移動と運動エネルギーという物理学的現象だ。

でも、その後どうなるか。

動きはじめ2,3歩は相手を押して、相手と共に歩けるのだが、すぐに相手とぶつかり止まってしまう。

そこで、次の課題に直面する。

なぜ、止まるのか。

次は心理的な問題になる。もちろんその結果身体面での変化なのだが。

歩き始めたのは良いが、どうしても接触している部分、相手が両手で押さえている両肩から緊張が入り、固まり、踏ん張ってしまう。すなわちブレーキを自らかけてしまう。自らその動きを阻害してしまう。

武術的には居着く状態。

生理学的には萎縮・硬直状態。

ストレス学説的には逃走(flightt)、闘争(fight)、凍結(freeze)の3Fの三番目凍結状態となる。

昔から人間心身一如、心療内科、神経免疫学などでも、心身相関と言われている。ココロとカラダはつかず離れず一緒。もちろん、いっしょだから本来、ココロとカラダと分けて言うことさえおかしい。だからこそ、たくみの会ではフィジカルと総称している。私もからだ(身・心)と一応言っている。

でも、一つの説明の仕方として、ココロが相手により反応してしまう。これまで生きてきた条件反射、習性、習慣により、接触されている部分(肩)だけならまだしも、その接触部分から下手をすると全身硬直し、突っ張ってしまう。特に床に接地している脚が棒になってしまう。脚が棒になると身体全体がつっかえ棒状態となってしまい、相手と釣り合ってしまう。

さて、どうするか。

答えは簡単だ!

(1)【肩を気にせず、緊張させずに、普通に】、

(2)【相手の重さに動じないで、自分の重さ、身体を用いて、】

(3)【歩き続ければ良い】。

三つにプロセスを分けたが、ここでの新たな課題は(1)である。

(2)は、先の物理学的法則、重心の移動を継続すれば良いだけ。

(3)は、意識、その氣の問題。その構造、重さ、能力、機能があってもその氣が無ければ歩き続けられない。ある面勇気も必要かも知れない。これまで越えたことの無い壁を乗り越える。

だが、一番の問題、難しい課題は、(1)接触部分を気にしないで、普通にという所である。

どうしても、触られている肩およびその周囲は緊張し、固まってしまう。

最初は自分でどうして良いか、全く分からない。

下手をすると自分が通常と異なり緊張し、固まっているということさえ自分で認識出来ない。

でも、相手なしで、普通に歩いてみて、再度相手に立ってもらって肩に手を当ててもらったりして肩周りに意識を向けると、違いに気づけるようになる。気づけるかどうかまず第一段階だろう。

ただ、気づいたから即問題解決という分けでも無い。じゃー、どうしたら、緊張せずに済むのか。自分一人だけではやはりなかなか難しい。

周りの人達のやりよう、成功例も参考になるが、逆に失敗例の方が参考になる。他人の粗は見えやすい。それをみて、わざと粗を荒々しく誇張してやってみるのもフィジカルの練習、学習としては良い。それが出来たらそれを止めればよい。

言ったり、書くのは簡単だが、そのフィジカルを実現するのはやはり自分自身で試行錯誤を積むしか無い。

ただ、同じことは繰り返さないで、新たな体験を自ら見つけていくしか無い。

その時もやはり自分一人だけよりは成功体験を見せてくれる練習仲間が居た方が心強いし、参考になる。出来るんだと思えることも大事だ!

逆に出来ない、出来ないではやはり出来ない。

おお、出来そうかなとなればしめたものだ!

自分と戦っても仕方ないが、ある意味自分との闘いだ。

過去の自分、ブレーキを踏む自分と新たな自分アクセルを踏む自分との葛藤はある。

ただ、肩を緊張させない感じ、感覚を掴むと後は、(2)、(3)のプロセスを経れば良い。

セミナーの最初の立った一つの課題を後から振り返り、自分の体験を通して時系列的に(?)書き出してみた。

ただ、実際の場面でこんなことをいちいち考えて行っていたのでは無い。何となく身体に聞きながら、先生の説明を聞きながら、トライ&エラーを繰り返し、おお、あっ!という経験を積み重ねて行った。

その後の課題も更に、動きの原理原則を学ぶ課題が続く。

パンチの打ち方。それに何が重さ、重心が関与するんだと思われるかも知れませんが、やはり重心の移動とフィジカルの物理学的、自然の法則に従った使い方をするかしないかで、人がわずかに動くか、思った以上に動いてしまうかの違いになる。

また、向かい取りで(向かい合った同士で、右手首を相手が左手で掴む)の腕上げ、相手の崩しと誘導。掴まれた指を外す原理、さらに、外さずにひっつける原理、そしてさらに、それを用いて相手を浮き上がらせ、ひっつけて置いて自由に翻弄する原理。体重の移動と軸の原理だけで無く、また心理プロセスである触感123を初心者用に簡便化した原理で、本当に自分が達人になったように、相手を手玉にとる体験を積んだ。非常に愉快な面白いセミナーであった。また、その中には、人間に対して、骨と筋肉という剛体としての構造体として捉えるか、他のとらえ方をするかでも、異なる原理が見えて来ることもあり、基礎の基礎とはいいながらも、本質につながることだらけとも思えた。皮膚をつなげて行くだけ達人技が出来てしまう。普段私が実地臨床で提供している「身を介した認知行動変容リハビリ療法(からだ(身・心)のリハビリ)」にも大いに役立つ内容満載のセミナーでした。

ただ、ここでの原理という言葉は初心者用に説明理論理屈としての原理であり、たくみの会の本質的な原理とは異なりますが、初心者への説明上の簡易原理です。

私自身としては、常々、実地臨床上の治療、医療にはそんなに難しい原理、理屈、情報は必要ないかなと思っています。ただ、自然の摂理を自然にを簡単にシンプルに実現するプロセスを提示出来たら、それだけでもすごい事だと思っており、それを少しでも提供し、自分自身で自分の不自由を抜け出してもらう手伝いが出来、自分のフィジカル、人間の能力を見直すきっかけになり、自信を持って自立した人生を送れるようになったら良いかなと思います。

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