2016.12.03
いよいよ、今年も残り1ヶ月。
今年は教わるから学ぶ、学ぶから研究するということを、重力ということで、身をもって探求出来た。
その結果の現在の身体感覚、身体観は、人体、身体は流体であり、重さは常に下に流れ続け、重みとなっている。何もしなければ流れている。
ただ、それを緊張させ、糞詰まり状態にし、身体をバラバラに固相として認識し、命令する自分が居る。
そんな気づき、学びから今の時点での身体遊びをする。
来週の土曜日、12月10日に、今年最後のスーラク、健康教室!
黄身は黄身で目玉焼きもあるが、卵焼きそしてだし巻き卵もある。
2016.11.23
おっ! 凄いこと、身を待って実感してしまったかも!
流れに乗り、乗り続けるには、先の準備、予測が必要!
予測するためにも身をもっての失敗という体験が必要。その失敗体験を選ばないという選択の結果、失敗しなくなる。
歩く歩道に乗るにも、スキー場でロープ塔に乗るのにも!
昔子供の頃、スキー場でこのロープ塔に乗れず何度か転んで結局乗れずに諦めたことは今でも身体は覚えている。
乗れずにこけた瞬間の驚きは今でも覚えているが、乗れるようになった瞬間は全く記憶にない!
さて、予測と言っても、頭で考え、頭で身体に命令していては、間に合わない!
頭さえ準備出来ていれば、即ち乗って滑っているイメージが出来ていれば、後は、身体が勝手にやってくれる。
身体が勝手にやってくれると言っても、スキーの板に乗れる基本的身体になっていないとロープを掴んでも、スキーが逆ハの字になってつまずいたり、進行方向に向かってスキーのエッジが、斜めで身体とスキーの進行方向が違ったりして流れに乗れない。
また、上半身と下半身の自然の連携、バランス、つながりもないと身体全体でスキーに乗り、ロープで上まで連れて行ってもらえない。
乗れる基本的身体がない、自分でない、状態だと、ロープ塔に乗ることは出来ない。
話を聞く時も、流れの中である程度予測しているからスムーズに聞ける。
一方では、構えず流し続けていれば、流れられるが、期待しすぎ、決め付け過ぎると、期待した言葉が来ないと "なんでやねん" と一々突っ込んで、流れを止めてしまう。
ゆえに聴き続けるためには、なんでも、そうなんだ、そうなんだ、と全てを受け入れられている自分の姿を選択し、イメージを持つ。そのイメージを選択し持ち続ける必要があるようだ!
ロープ塔に乗り続けるためには、乗り続けているイメージを無意識でも持ち、身体のそのありようを維持していないと転けることとなる。
スキーの板が少しでも開いたら、次第にその開きは大きくなって転ける。その都度その都度の小刻みな修正が必要な過程もある。が、最終的には、目をつぶって半分寝ていてもそのありようがあれば、大丈夫になる。
人との対話では、言語だろうが、非言語だろうが、身体を通した対話だろうが、転けない選択として風見鶏となり、挑まず、逆らわず、追い越さず、急ブレーキ、急発進をしないという選択をし続ける必要がある。
さらに、身体が流れられる基本的身体となれば、余計な予測、思考、命令、緊張は要らない!
乗れているのが、聞けているのが、当たり前、無意識レベルでも可能となる。
後は、身体任せ!
風任せ!
で、はじめて、乗り続けるのも、聞き続けるの自由になる。
ロープ塔に乗り、スキーを進行方向に向けて横にしてもエッジを外してフラットよりも更に雪を受け入れる角度にすれば、それでも乗れて、上れる。
最初は無理と思えたことも簡単に実現できる様になる。まず最初は転ける。
七転がり八起き
意識的選択から
無意識的選択へ
そのためには身体を練り習い慣らす過程が必要!
2016.11.22
緩んで崩れて歪んで緊張を生むか
緩んで調和して整い開放されるか
最初のほんの少しのボタンの掛け違い!
そのボタンがあるのに中々見つからない。
見つかったと思ってもまた、直ぐ見失う。
意識し探せば探すほど見つから無くなり、遠ざかる。
下手な考え休むどころか、更に掛け違いの元!
笹舟を離しさえすれば、流れに乗って流れ、なるようになる。
自然の理に従うのみ!
が、考えれば考えるほど、放せなくなる。
人間変と言えば、変。
偏屈と言えば偏屈。
人間考える葦とは言われるが、考えても仕方ないことは、考えない!
頭は手放し、身体に任せる。
世間で物を売るには、AIDMAと言うのがあるが、身体に関しては、AIDAで、ユラユラ気持ち良ければ良い!
Mが抜けて、ちょっと間(aida)が空いたAIDA位が、ちょうど良い!
2016/11/21
本質は、シンプル!
ニュートンの運動三法則
慣性の法則
f=ma
作用反作用
パスカルの原理
アルキメデスの原理
我々人間も、その原理恩恵を受けている。
しかしながら、シンプルなだけにそれを身をもってその意味知り、味わうことは、決して容易ではない!
その意味するところは、広く深い!
2016/11/21
真空一様重力下では、質量が違っても、比重が違っても、同じ高さから同じ距離落ちるまでの時間は、同じ。
だが、大気中では異なる。
浮力、空気抵抗が働いている!
空気も濃淡が出来、その濃淡を我々も知覚認知出来る。
その対象物のありようを知覚すると、追い越さず、遅れず、付いて行く(追随)ことも出来る。
そのためには、自分自身のありようが大事。
緊張し、居着いていると追随出来ない。
また、相手の力み、緊張、居着き具合にもよりその動きのスムーズさ、落下の程度も異なる。
異なるが、相手との接触を知覚、認知して身体に任せれば追随も可能。
紙一枚でも、水平にしての落下、縦にしての落下、丸めての落下、さらにお手玉、箸、ネコの落下もそれぞれに異なる。
2016.11.18
学ぶと言うことへの真摯さ、熱意がいかに大事か!
接ぎ木するような学びの浅さ、浅はかさを思い知る。
青は藍より出でて藍より青し
それは、並大抵のことではない。
しかしながら、少しでも染まれば良いと言うけちな根性では、とてもとても。
折角の学ぶ機会にもかかわらず、自分の思考、体験、解釈を挟むのは時間の無駄で有り、愚の骨頂!
先ずは黙ってどっぷりと漬かる。浸る。全身全霊で浸る。
浸るとは、一分一秒もその状況、場面から抜け出さない。ずっーとだ!
自然としては、一分一秒も同じと言うことはあり得ない。
その中でじっと浸る。ただ、ただ、浸る。
単純と言えば言えるが、その単純さにどれだけ真摯に情熱を持って向き合えるか!
書き換える前に染まってしまえば、書き換える努力感は必要ない。染まるが勝ち!
藍より青くなれるかは、その先の話だ!
2016.11.17
水は低きに流れ、人は易きに流れる。
されど、
水は、蒸気となり、雲にもなる。
が、難しいのは、最後がどこか?!
表層の終わりが終わりではない!
最後の最後まで、引き出し聞いてみないと分からない。
慌てる乞食は、もらいが少ないどころか、ちりも積もれば、山となる。
人生の大しっぺ返しを当然もらうこととなる。
が、それで、初めて気づくことも、時もある。
先の先を取るより、後の後をとる方が難しい?!
最後の最後まで、聴かせて頂く
2016.11.16
真空一様重力下では、質量が違っても、比重が違っても、同じ高さから同じ距離落ちるまての時間は、同じ。
だか、大気中では異なる。
浮力、空気抵抗が働いている!
空気も濃淡が出来、その濃淡を我々も知覚認知出来る。
縦方向では、冷気は下がり、暖気は昇り上昇気流となり、グライダーをも上昇させる。
横方向では、そよ風に頬を撫でられ、髪はなびき、下手をすると人も木も倒され、飛ばされる。
人が動けば、空気も動く!
空気が動けば、人も動く!
人と人との距離が縮まり、間合いが詰まると、触れなくとも圧迫感は感じる。
ドーナツの穴もある。穴だけでは穴ではない。
見えても見えなくとも、触れても触れなくても、聞こえても聞こえなくても、知られていても知られていなくてもあるものはある。
からだ は からだ
有難い貴重なプレゼント、ギフト
自然の恵み、賜物
あるがままにあって、あるがままに機能したら、どんだけすごいんだろう
そんなわくわくドキドキのからだ
2016.11.14
■ 現代人のありようは、
表面的前方一点集中知識情報偏重頭でっかち教育の結果
■ 情報知識による頭のみでの理解、気づき感銘は、
身勝手に得たいことに意識が集中し、その点についてのみ口が開いて説明に雄弁になる。頭に血が上り、上ずって上滑り。思いもしない新たな自分が開いてくるその一過程ではあるが、邪魔!
■ 身体を通しての新たな体験、感動は、
口は閉じ寡黙になる。意識は身体に行き渡り、これまでにない感覚を味わい、意識も血液も均等均質になり、身体も緩み重みも身体に染み込む。
言語化できず、説明できず、納得しがたいが、身体には無意識領域で染み込んで定着していく。
出来ることは、身体がそうなる準備をし、邪魔せず、受け入れ、味わうだけ!
■ 人間の熟成発酵の期間は、睡眠
一晩寝ている間に身体に染みこませ、熟成、醗酵させて、身から湧いてくる感覚、言葉は、思いは、有難い、新たな自分!
他者からの変容(きっかけ体験)を通して、無意識レベルでの自然醗酵し成熟する。
孵化し、レベルアップする。
これまでにない身体感覚と恒常性の目覚め!
■ 凝り、痛み、苦しみもあるだろう!
それは、単なる結果!
それを目の敵にし、相手にしても仕方が無い!
そうだ!
それが、これまでも目指してきた「身を介した認知行動変容リハビリ療法」だ!
なるようになってもらう!
何処がどうなるかは、お楽しみ!
その人自身が自らの人間の能力を自立的に無意識に発揮してくる。当然の結果として、先ずは、本人の意識に登っているその時点での身体のありようの結果の症状も、変わらざるを得ない。
しかし、表面的な症状だけを目の敵にして消しても本質的な身体のありようが変わらない限りは、何も変わらない! どうせまた当然の結果が現れてくるだけ!
日々の生活そのものから自分を変えない限りは、変わらない!
自分を変える一つの指標として重みとその流れの知覚の錬磨は、大事!
■ 新たな気付きと展開
一口食べた物の重みと流れを感じたらどうなるのだろう!
普段は、せいぜいのどごしまでだが!
胃袋に掛かる重みとか、胃袋が軽くなる感じとか?
おお、姿勢により胃袋が圧迫されている感じは分かる!
心臓、肺は?
肩は?
頭は?
重みによるサーチ、チェック!
おお、偏っていたり、無理なポジション、状態にあることは、感知できる。
面白い!
面白い!
一口食べる過程も、楽しめそう!
おお、一呼吸だけでも身体は色々な情報を発している。面白い!
頭で認知し、後は、身体任せ!
おお、
座って居るだけでも、その時点の自分の身体のありようを重みを介して、自分で気付ける!
重みによる自己認知変容リハビリ療法だ!
おお、楽に調和を取っていくと姿勢も変わり、目も自ずと半眼になる。
そして、全身拍動している。
2016.11.10
心配・不安も、正義も、思い込み、居着き!
未来ビジョン、創造想像こそ、躍動!
2016.11.09
天才だ!
これまで天才という言葉は、自分と無縁なものと思っていた!
でも、はたと気付いてしまった。
自分も天才なんだと!
それもいつでも何処でも、どんな時もだ!
人間として天から授けられた才能だらけなんだと!
その才能、機能、能力をどう発揮するのかさせるのかは自分に任されている。
発揮させるもさせぬも自由なんだ!
どんな才能があるのかも発揮し続けていかないと見えてこない。
今は今で天賦の才を発揮させ続けている。
過去も
天才だった
今も
天才だ!
そしてこれから未来もずっと
天才だ!
皆
天才だ!
2016.11.09
居着かず落ち着く
それで、初めて、聞けて、受け入れ、何もせず、待つことが出来、フォロー可能となる。
どっしりゆったり落ち着いてこそエネルギー源となる。
力源、元気、活元!
落ち着いてこそ芯から、重心からのエネルギー活用、動きとなる。
居着き、浮わつき、右往左往は、小手先、口先とならざるを得ない!
成る程、胆力、丹田を鍛えると言うことか !
部分をいくらいじっても小手先のこと。
手も、口も、皮膚一枚も、丹田、胆力有っての物種
落ち着くとは、本当に落ちて、じっと優しいままそのまま着いているんだ!
動きの質は、知覚の質!
2016.11.09
光り輝くのは我!
質点の落下は鉛直!
鉛直落下以外は落下ではない。
が、玉が位置エネルギーで坂を転がり落ち、多少の上り坂を登るのは、運動エネルギーのお陰!
落下には、ブラスの落下とマイナスの落下がある。即ち、見掛けの動きはどうでも、鉛直方向の加速度が一定であれば広い意味で全て落下である。
即ち、上昇、浮きも落下である。
1ミリでも狭義の意味で落下したものは、運動エネルギーを得る。それを鉛直方向の加速度を一定にして上下左右、四方八方にも、淀みなく滑らかに(加速度一定で)動けば全て広義の落下である。
個体の身体の落下では、緊張、淀みは、落下を阻害する。常に液相であれば落下できそれが流れとなる。
2個体の身体関係においても、原則落下は鉛直である。
が、やはり、位置エネルギーを運動エネルギーにしてしまい、広義の落下させ続けていれば、軌跡はどうでも、落下である。二個体間の関係でその瞬間瞬間自ずと流れる方向が決まる。
流れる方向を決めるのではない決まる。余計なことさえしなければ、流れは、決まる。
決まるがそれを自在に決めるためには、流すためには、当たらず、負け続けるための、知覚、認知できる感覚が必要となり、その感覚が鋭敏に繊細に働くように磨く必要はある。そうなれば流れる道を作ることも出来る。
故に二個体間での関係においては、その流れを、相手にとって何処にどの様に流れさせるかは、相手との感覚の精度による。
相手の感度が勝っていたら、こちらの落下は、あちらの落下ではなくなる。
こちらが落下でなくとも相手の感度がこちらよりも低いと相手にとっては落下となり、流れ、相手は崩れてしまう。
さらに、位置エネルギーを運動エネルギーにして、目標を定めて、相手に流し込めば、その伝達経路さえ確保してやれば、どこからでも落下は、起こる。伝達経路は液相か気相である。根元から崩れると全体は崩れる!
自然落下では、重さは下!
その応用の人工落下は、三次元自在!
そのためには、負け続けられる知覚と認知能力を磨く必要がある。
身体各所で、その認知の活性化が可能!
普通は、右腕、左腕だけでも差がありムラがある。ましてや足、脚は?!
さらにさらに普段見ない、見えない背中、腰、身体内部は、推して知るべし!
磨けば磨くほど光る。泥玉でさえ光る。ましてや、霊長類の長たる我々人間が光らないわけがない!
光、輝き出すある瞬間までは、地道に磨く作業は必要であり、輝きはじめたら、どこまで輝かすのかは、その人次第!
終わりはない!
2016.11.3
流れは、エネルギーだが、負けるが肝要!
水の流れも、空気の流れも負け続けるからこそ流れ、急流にも、土石流にも、嵐にも、台風にもなる。
一滴の水の流れも、初めは負ける。
重力に負け落ち続け、モノにあたっても負け続けるからこそ、それが流れとなり、集まり巨大なエネルギーとなり、仕事をして、モノに力を与えて、その方向にモノを動かす。
一滴の水も岩をも穿つが、その瞬間、瞬間は、重力に負け、岩にもはね返され、飛ばされ、負け続けている。
負け続けているからこそ、そうなる。
負けることが流れることで有り、エネルギーの元、仕事をする元、人も物も動かせるようになる。
最初は、グーでも、パーでもない。
最初は負けだ!
2016.11.01
肘の居着きは、丹田、腰、腹の居着き。
脊柱の硬直は、顎関節の硬直
身体の居着きは、頭の命令
頭の命令は、目標勘違い
その目的は、人間本来のありよう追求
2016.10.28
切り替えは瞬間!点!
ピークも、極大、極小も、変換点も!
直線も曲線も
瞬間の点の集合!
目的はホール
目標は点
ゼロも点
プラスマイナスも隣り合わせ
点、瞬間に名前有り
有るようでないその実体
人の生
有名無実の瞬間点の集合
人生=l(t)
動き=m(g,p,c)
人生曲線の微分は、思考努力!
動きの微分は、重さ、フィジカル、関係性の瞬間の変化量
2016.10.27
他人価値基準
他人判断
刷り込み
思い込み
繰り返し
習慣
習性
失敗
不快
不満
苦痛
苦悩
あがき
思い知る
気づく
教わろう
受動的
教える側と教わる側のギャップ
学ぶ
そのギャップに気づき
能動的
自ら
工夫
試行錯誤
自己評価
自己再評価
自己信頼
自信
安心
平常心
一点もの
2016.10.25
皮膚は一枚物
人は一点もの
時は一瞬もの
人生は、一生
2016.10.24
力には、緊張、抵抗
落下には、無知覚、無抵抗
すべての関節、半クラッチ状態が良い感じ
2016.10.23
万有引力、重力により、大気圧、水圧など全て積み重ね!
地表1気圧、上空は薄い
水圧も、深いほど高い!
知識としては当たり前といえば、当たり前のことだが、身をもって体内水圧を知覚、認知して、実感すると、結構衝撃!
普段は、その積み重ねも、重さも、重みの質も全く知覚されていない!
脚全体が上半身に比してもの凄く重く感じるが、さらに脚も図のごとく脚の下ほど、重く、足がこれほどというか、身体の重さがこれほど重いかという程重い。ビックリした。
2016.10.23
東京「03」は、凄い!
東京「3」だったら、一度は日の目を見ても、居ついて、その後は、売れなかったろう!
三人が三人とも「03」だから凄い!
それぞれの持ち味を活かして変幻自在のコント!
だから東京0100でも良かったかも知れないが、それでも、03なのだ! それ以外はあり得ない!
と、一人納得した!
2016.10.23
芸人は凄い!
ネタは拾ってコント、芸は作っても、人のギャグは、取らない、もらわない、うらやまない。
2016.10.23
マイルストーンは、一方通行
答えは、全て内に有り!
他に聞く必要は、ない!
自分自身で、仮説検証し確認し、更に精度を上げていくのが、研究者!
聞いて確認し、安心したがるのが、追随者、学習者、依存者、居着き人
まずは、真似る。
その中で、学ぶ。
自ら仮説を立てられるようになり、自ら検証していく。
2016.10.22
不自由、不満、不遇、不成功こそ、成功の元。
それ故、欲して、思い描くからこそ、目的を達成してしまう。
種々の”不”は、成功への原動力であり、プロセスであり、一里塚。
歓迎すべき良い機会!
2016.10.22
書き換えも、書き換えられるものがあってこそ!
目的が自分変容でも、
これまでの自分、常識、判断基準、スキーマ、自動思考があればこそ、その書き換えを楽しむのが目標、
そのためには、自分をチェックし、書き換え前の自分に気づけてこそ。思い知ってこそ。壁に当たってこそ。痛い目、つらい目にあってこそ。
何でも楽しめちゃいそう!
2016.10.22
何かを伝えるのが目的であれば、思いを持って言葉を発すれば、何とか伝わる。
個々の単語の意味を知っていても、話しの流れ、沸き立つ思いが無ければ、伝わらない。
2016.10.22
受け皿をいくら大きく、あるいは数多く増やしても、盛った料理を食べて、身にならない限りは、もったいない.
盛る意味も無い。
2016.10.22
これまで、海に入ったことも、プールに入ったこともある。
自分の身体は自分の身体で、いつも変わりは無いと思い込んで居た時には、水から上がっても、それほど身体の重さの感じは変わらなかった。
最近のマイブームは、水中ウォーキングというか、水の中に浮き立ち、波を立てず、踏ん張らず、水の揺れ、動きに任せて揺れ歩くこと。
出来るだけ水に浮き、身を任せ、ほんの少しの重心移動で歩く。
そして、面白いのは、プールからスロープを上がって、水中から空中に出る時だ!
当然、水中の浮力を受けた状態からその浮力が無くなっていく過程が有る。
そのスロープを上がっていくたびに重みがドローンと身体に染みこんで、重みが足裏に強烈に乗ってくる。重みの体感が、以前とは雲泥の差で、水中から出た脚を持ち上げようとすると、これが自分の脚か!と思うくらい重い。脚の下の方になればなる程重い。やっとこさ何とか持ち上げられる位の重さに感じる。
自分の身体の一部がそれほどの重さとはとても信じられない位重い。
本当に重い!
しかし、水中から出て、空中を一歩歩みを進めるたびに、その重みが波が引くように薄らいで行く。空中に出て、5.6歩歩くと異常に重かった脚も、それまで感じていた重さに戻る。
その一歩一歩の感覚の変化がダイナミックで面白い!
そして、重さの感覚は、戻るが、重さが鉛直に流れ落ち続けている感覚は、鮮明になり、残る。
それも時間が経つと元に戻るが、重さの感覚変化よりはより長く残る。
重力は、生まれる前から、下、鉛直にに働いているが、普段は、重さの鉛直方向に働いているなどと言うことは、露ほども感じない。
しかし、最近は、鉛直に重さが流れる身体のありようと、それを邪魔してしまう身体のありようが、雲泥の差であることは、お陰で体感されてきている。
同じ身体ではあるが、重さを感じられる身体のありようは、そうでない身体のありようとは、全く別物だ!
特に、流れるプールで流れに逆らうように揺れ浮き歩くと重さの鉛直流れ感覚は、研ぎ澄まされるようだ!
蹴って歩かず、重さ、身体の揺れに乗ってプールの流れに逆らって歩けたら超面白い!
何度もプールから出て歩いては、また、プールの中を歩く。
排尿は促進されるは、全身の疲労は心地良く、終わった後は、昼寝せずには、居られない。
海の魚が水を水の存在を知らない様に、我々人間は、普段重力に関しては、知覚、認知していない。
が、このゆらゆら水中ウォーキングとと空中歩行の対比は、重力を内観出来、感覚を磨き、自分の重さを開放するには、抜群の効果がある。
面白い!
2016.10.21
我々人間は、大気の浮力により、地球からの反作用により、浮き浮きと浮いている。落下は浮いててこそ実現できる状態である。
抜きは、浮きであり、落下である。
落下とは、鉛直方向への重さの流れであり、地面、地球からの反作用で、浮きがかかった状態である。
身体のありようは水袋で、常に水は下に流れ、跳ね返り循環している。芯も存在してしまう。
鉛直落下は作れない。あるだけ!
恣意、意志、意識は、邪魔!
意思、思い、達成イメージがあれば充分!
動作をしてはいけない!
しゃがんではいけない!
転がってもいけない!
落としてもいけない!
やろうとしてはいけない。
いけないと意識することもいけない。
落ち続け、流れ続け、地球からのその反作用、反力を貰い、浮き続けているありよう!
あるがままを感じ、成る程と思うしかない。
流れていると知ると流れる。
流れているから流れていると知るしかない!
流そう流そうは、居着き、硬直の元!
縦横も言葉はあるが、縦を意識して作る必要は無い。否、意識した時点で硬直し、棒状。棒立ち!
蜘蛛の糸は、垂れているが、相互関係で構造化もする。蜘蛛の巣も出来る。
芯も作る必要は無い!
繋がる必要も無い!
芯は自ずとあり、縦も通り、横も勝手に通る。
関係性もその時々、その刹那である。
その刹那を作ることは出来ないが、その刹那を感知し、有難く、刹那に従うことは出来る。
東洋の魔女の監督にはなれなくても、黙ってついて行くことは出来る。
自然を感知し、従う!
流れに乗る。
自分、我は、有るようでない!
これまで、強固にしっかり、あると思っていた。
が、有ると思っていた自分、我は、その時々の蜃気楼!
温度、湿度、地面の環境により変化する。
否、変化してしまう。
揺らぎ揺れる。無いようで有り、有るようで無い。
環境を固定し、固定した蜃気楼を作ることは出来る。
観察者も固定されるしかない。
観察者で有り、被験者でもある我!
故に、我も狭くも広くも、軽くも重くもあるのが自然の我!
やはり、身があってこその心。
身心、みこころのありよういかん!
2016.09.07
楽にした
その先の楽
どこまでも
シャボン玉
浮いて沈んで
風任せ
負けて勝ち
勝っては負け
その間
頑張って
やる気は気配
居着く元
何気なく
吹かれてしまう
自然体
直接の
目的よりは
目標か
そっぽ向き
遊び楽しむ
適当さ
足裏も
硬軟狭広
無限とは
知情意あり
恋も雨水も
適当に
○○とは
そうだと思う
こころなり
こころとは
知覚認知の
積み重ね
体験の
積んでは崩す
面白さ
病気とは
病と思う
そのこころ
健康は
出ては入るの
四季巡り
2016.08.27
親は子供がいくつになっても、親!
しかし、親は年と共に、子供、赤ちゃんにもなる。
その道は、いつか来た道!
帰る道。
母親から生まれた子供でも、血のつながりはあっても、人間としては個別。
君は君、
白身は白身。
私は私。一生私は私。
あなたにはなれない。
他人にはなれない。
だが、他人の評価で、私という他人!
私という他人を自分と思う自分。
芸能人は芸能人だが、やはり個別の人様!
赤の他人の息子、娘がどうだろうが、それがどうしたの?
と思う、今日この頃、
出来ることは、自分以外のことで何か出来ることあるの?
お天道様に恥じないように、だれが、見ていようが、見ていまいが責任をもって、行動出来るのは自分のことのみ。
女神は前髪しかない。
親は、背中を見せるしかない。
生卵でも、茹でたら、ゆで卵。
自分の身から出た子でもその子は人様、その人様!
保証人にはなれても、その人自身ではない、その責任は自分でとるしかない。
知育、徳育、体育、文明、文化、でも、人は人。
環境は人が作り、人は環境により作られる。
鶏が先か卵が先か?
何も関わる気もせず、何もしたくない。しかし親子ならそれなりに背中位は見せられるかな! 見てくれるかな!
親心 なにかあって問われる親子関係! 教育!
2016.08.27
改めて、重さは万有引力の法則で引き合う。
地球上では鉛直落下の方向!
ただ、この鉛直落下ということが、頭と身体がかい離している。
落ちれば良いのに、中々落ちれない。
下手をすると、落下と力み、屈伸との差が分からない身体のありよう、育ち方。育て方。現在の知育、徳育、体育。
論語読みの論語知らずとは聞くが、ベクトルという言葉は知っているが、身をもってベクトルを実感出来ない現代人。
重さも、下も、緩みも勘違いしている。
絹も高価だが、重さは無いようだが、ある。
絹の重さの揺るぎないつながり。
絹の重さ、紙の重さを知る自然体。
それが知れたら、空中回転投げ、空気投げなど、より身近になるか!
ロハスペットボトルでの肩への合気上げも!
円の動きも見えて来る。実感される。実現可能となる。
遠心力と動きは違う。力と動きの違い、作用反作用の違いも身をもって実感される絹の重さかな!
真の重さの力は間合いとバランスと位置エネルギー、と一期一会のコミュニケーション。
手応えの無さで知る重さの力かな!
円の動きが歩きの元
靴よりは雪駄で分かる重さの力かな!
ぷらぷら歩けたら、ごく普通の人間か?
靴を履いた現代人は、靴を履いた猫よりさらに不自然なありよう!
2016.08.16
居着きは外、自然体は内、身の内、手の内、足の内
手のありようは足
右手のありようは、左手
世間は広い様で狭いが、足の裏は狭い様で広い
意識、認識が変わると、点にも面にも、コンクリートにもマシュマロにもなる。
重さは下、浮きは上
自然体は、浮きつ沈みつ、揺れつ揺られつ
使うは使わない。
使うところは使わない。使わないところを使う。
しかし、使うところは、やはり、使わない。なる様になる。うごめく重いに任せる。
表の裏は表だが、表裏表の掌は、最初の表の掌とは、重さが違う!
縦は縦だが、上と下に伸びやかに伸びた結果!
横も横だが、縦に立ててこそ横!
肚は、アンカーであり、ジャイロであり、原動力。
足首は、免震構造のダンパー、
頭は、付加質量機構の付加質量、
背骨は、五重塔の心柱。
全体は、揺らめき歩く水中の海藻。